5年経っておもうこと。
3.11 東日本大震災
この日を境に良くも悪くも人生が変わったという人は多いんじゃないでしょうか。
僕もその一人です。
何故か最近、まわりから『田中さんはなんで美容業界にこだわるの?』みたいな質問をよく受けます。
確かに、美容師でも何者でもない30代後半のおっさんがなんで美容業界にこだわるのか。。
普段はあまりこういう話はしないのですが、あれからちょうど5年経った今だから少しだけ自分の気持ちを綴っておこうかと。
震災当日から1ヶ月半ほど過ぎた頃でしょうか。僕は当時の仕事を通じ被災地にいました。
場所は宮城県女川町。
もともとの綺麗だった町並みを知っているわけではないのですが、それでも誰が見てもわかる変わり果てた惨状に言葉が出なかったことを今でも鮮明に思い出します。
何をしに行っていたかというと、当時働いていた美容のポータルサイトから美容師さんを募り避難所の方々にボランティアカットをしていただきに行っていました。
現地で感じた思いや詳細は当時ブログに綴っていたのでそちらを御覧ください。
http://blog.livedoor.jp/tfo1-freedom/archives/51630521.html
実はそのボランティア企画の際にあまり表には出していなかったのですが、直前になって我々の受け入れ先避難所に変更が起きていたんです。
もともとは石巻の避難所でのボランティアカットの予定でした。
しかし、直前になり某タレントの方々が炊き出しなどに向かわれたため、人が殺到し受け入れができないという事態になったんです。
急遽現地ボランティアをアテンドして頂いた方が探してくれた避難所が女川町でした。
そして、女川原発の中の体育館。
正直なところ、聞いた瞬間は『え?』という驚きと戸惑いの感情があったのは事実です。
ただ、安全が確保されているのはもちろんだったのですが、やはり現地で苦しんでいる人がいるのに、いざ場所が原発に変更になったからといって辞めようというのはムシのいい話。だからこそ、困っているんじゃないかと思い僕自身は決意したのですが。
ただ、参加を表明してくれていた美容師さんは別。
僕達の勝手な想いに、正直何が起こるかもわからない危険がある場所へ絶対に来てください!なんて言えない。ましてや参加者の中には奥さんや子供、家族がある人もいるわけで。
そんな不安な気持ちを抱え美容師さんに変更の連絡をしていったところ・・・
『全然関係ないっす、行きましょう!』
『大丈夫ですよ!そんな場所だからこそいいんじゃないですか!』
など、みんな口々に。。
誰一人、抜けることなく快く参加いただいたんです。
この時の感謝の気持ちは一生忘れません。
そして、現地でのボランティアカットを受けたおじいちゃん、おばあちゃん、小さな子どもたちの笑顔も一生忘れません。
長くなりましたが、この経験が僕の美容業に対する想いのベースになっているんです。
ただ髪を切るだけ。日常では当たり前にすら感じることが、人をこんなに元気に、笑顔にできるんだと目の当たりにしました。
僕は美容師ではありません。
でも、美容師をはじめ美容業に携わる人達がもっと活き活きと、楽しく、そして自信に満ち溢れた生活が送れるようにサポートはできるんじゃないか。
そう本気で思えるようになったのが奇しくもこの震災がきっかけだったんです。
あれから5年。
自分がどれだけのことをしてどんな貢献ができたのか。
はっきりいって誇れるほどのことができたわけじゃありません。
でも、この5年の間に訪れた幾つかの分かれ道で、迷いなく美容に関わる道を選択してきた自信はあります。
もちろん、人生は長いのでこの先どんな道に進むかはわかりませんが、よく聞かれる美容業界に対してのこだわりはこういったことからきてるんです。
毎年、3月11日が来るたびにこの時の気持ちを思い出すんですよね。
それと同時に、毎日を本当に後悔なく生きているのかを自問自答します。
くだらないと思って過ごしてしまった昨日と、震災で亡くなられた人たちが心の底から生きたいと願った明日は同じ一日だと思うから。
実際に被災された方々の中には、まだまだこんな美談にできるほど前を向む気持ちになれない人だっていると思います。
でも、一人ひとりがこの事実を受け止め自分にできることから何かを始められたらそれでいいんじゃないかと。
それが僕にとっては今の仕事だったってことしょうか。
ちなみにこのブログを書きつつ、昨日3月10日が姪っ子の誕生日だったことに気づきちょっと焦ってます。
嫌われたらどうしよう(T_T)
下の写真は避難所でずーと遊んでた子供。もう大きくなってるんだろうな~( ̄ー ̄)
ではでは。
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